2011年12月01日
2011年も残すところあと1ヶ月・・・今年もいろいろありました。
約3年ぶりに上野動物園に、2頭のジャイアントパンダがやって来ました。来日の時にはテレビで生中継するほどのフィーバーぶりでした。オスのリーリーくんは気が優しい大らかな性格で、メスのシンシンちゃんは怖いもの知らずでおてんば娘です。日本での生活にも慣れ、元気でたくさんの笹を食べて来館者を和ませてくれています。
そして日本中に、いや世界中に衝撃を与えた大きな大きな出来事がありました。
3月11日の東日本大震災・・・日本における観測史上最大の規模、マグニチュード9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北500km、東西役200kmの広範囲に及びました。それに伴う大津波は、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に破滅的な被害をもたらしました。
当クラブではチャリティーTシャツを販売し、売り上げ金を宮城県にある「びっきこども基金」へ寄付しました。「びっきこども基金」の代表は仙台市在住で、「青葉城恋唄」で有名な歌手のさとう宗幸さんです。
ミミ先生と宗幸さんは30年くらい前に夫婦役で映画に共演したときからの友人です。会員の皆様のご厚意に、宗幸さんは心より感謝しておりました。
さて皆さんにとってこの一年は、どんな年でしたか???
年の初めにかかげた目標はクリア出来ましたか?
ミミカップで初めて背泳ぎに挑戦した当クラブの最年長スイマーさんの前向きな姿勢や、ミミフェスティバルではパパやママとがんばったベビースイマーくんの満点の笑顔に、スタッフ一同心癒されました。
ミミ先生は常に「水泳は赤ちゃんから、高齢者まで出来るスポーツです。無理をせずご自分のペースで楽しむことが大切です。そして長く続けてください」と話していました。
今年も水泳を通して皆様の健康つくり、体力つくりのために、当クラブをご利用いただき、誠にありがとうございます。
おかげさまでミミスイミングクラブは、来年30周年を迎えます。ますますパワーアップし、皆様と築きました「泳縁」を大切にしていきたいと思います。
今日も元気にさぁ、泳ぎましょう!!
2011年11月01日
赤、黄、山吹・・・目に鮮やかな紅葉の季節です。
宮城県・鳴子峡の紅葉は、11月上旬が見頃で、岩と松の緑が点在する中、美しい紅葉が見られます。奥多摩の氷川渓谷は、11月中旬が見頃で、山里の風情と清流の魅力が満載の紅葉スポットです。また、千葉県・養老渓谷は11月下旬が見頃でハイキングのメッカとしても有名です。
心にも身体にも癒される紅葉の季節、皆さんも大いに楽しんでください。
今年のドラフト会議は大学生投手のビック3に注目が集まり、多くのドラマが生まれました。東邦大学の藤岡貴裕投手、明治大学の野村祐輔投手、そして東海大学の菅野智之投手です。
藤岡投手は3球団の競合の末、意中のロッテが交渉権を獲得。嬉し泣きの記者会見になりました。反対に菅野投手は日本ハムと巨人から第1指名があり、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得しました。
菅野投手の叔父は巨人軍の原監督です。子どものころから原監督に憧れ、目標の人でした。同じユニフォームを着て、原監督が指揮を執る巨人でプレイすることが夢でした。ほぼ100%の確率で巨人入りと思われていたところの、大どんでん返し・・・ドラフト後の記者会見も痛々しい感じがしました。
いろいろと物議をかもした今年のドラフトですが、菅野投手が気持ちを切り替えて、プロ野球の選手として大活躍することを大いに期待したいと思います。
ミミ先生の憧れのスイマーは田中聰子さん(現・竹宇治)です。小学6年の時、たまたま朝刊に載っていたローマオリンピックの写真を目にしました。その時自信に満ちて、輝いている200m背泳ぎの世界新記録保持者の聰子さんを見て、「将来水泳でオリンピックに出て、よい成績を残したい」がミミ先生の大きな夢となりました。
聰子さんはスイマーに適した体躯の持ち主です。身体全体がイルカのように丸みを帯びていて、柔らかい足首からのキックはスクリューのようでした。
中学生のミミ先生は聰子さんの練習方法、食事の仕方を、行動を共にしながら観察し、自分との違いを常に考えていました。
「聰子さんのようになりたい!!」「いつか聰子さんより、早く泳ぎたい!!」の思いを大きく募らせて、目標に向かって前向きに進んでいきました。
ミミ先生は本格的に水泳を始めて、4年目でオリンピックに出場しました。目の前に世界一のトップスイマーがいる、願ってもない環境だったおかげです。
来年のロンドンオリンピックに向けて国際大会が多く開催されます。日本にトップアスリートたちがたくさんやって来ます。目から、耳から、心からいっぱい感じて、スポーツの秋を楽しんでください。
そして今日も元気に、さぁ泳ぎましょう!!
2011年10月01日
朝晩涼しくなりました。
中秋の名月と共に秋がやってきました。
秋と言えば「食欲の秋」さんまや松茸、柿の美味しい季節です。ミミ先生は忙しい合間をぬって、必ず香港へ行って「上海蟹」を食べていました。旬の食材をしっかり食べて、食生活を楽しんでいました。
また秋は「行楽のシーズン」でもあります。
最近では「世界遺産の旅」がブームになっていて、ガイドブックも多く販売されています。
今年「世界文化遺産、世界自然遺産」に登録された「平泉」と「小笠原諸島」は特に大人気だそうです。
ミミ先生も17年前に小笠原諸島の父島に行きました。父島は東京から1,000㎞離れていて、竹芝桟橋から「おがさわら丸」で25時間かかります。船で25時間・・・と乗る前は本やビデオを沢山用意し、過ごそうと思っていましたが、日頃の疲れが一気に出て、船に乗るなり爆睡していました。
小笠原にはテレビ取材で行きましたが、大いに小笠原の自然を満喫していました。大好きなイルカとランデヴースイムをして、夜は満天の星に感動し流れ星が流れる度に願い事を3回繰り返し言っていました。
ミミ先生は「大変なことが重なっていた時期に小笠原に行きました。大自然の中に身を置き、空や海や星に癒され、また一から頑張るパワーも沢山もらった。行きと帰りでは顔が全然違って、穏やかな気分で東京に帰ることが出来ました」と話し、父島は忘れられない大切な場所になりました。
これからは紅葉の美しい季節です。ちょっと足を延ばして、五感をフルに活かし、草木の匂いや空の青さ、心地よい音を充分楽しんでください。
そして今日も元気に、さぁ泳ぎましょう!!
2011年09月01日
■ミミメッセージ
まだまだ残暑の厳しい日々が続いています。
夏の疲れは出ていませんか?
あと1ヶ月で、ウーマンズ・スイム・フェスティバルがやってきます。今年の会場は千葉国際総合水泳場で、3,000人以上の方が参加します。
ウーマンズスイムフェスティバルはミミ先生の大きな、大きな夢で「木原計画」のひとつでした。
夢があり、チャンスがあったらやろうとおもったことを、書きためておいた大学ノートがありました。通称「木原計画」ノート。
<自分のスイミングクラブを持ちたい>
<女性の体格に合った水着のデザインをしたい>・・・などと書いてあり「木原計画」にそって行動をしていました。
実現に向けて、すぐに手の届くもの、少し背伸びが必要なもの、かなりジャンプをしなければ叶わないものと、3段階くらいに分かれていました。
10年で実現したいと思うと“あせらず、あわてず”今これをやろうと計画を立て、“あきらめず”に真剣に取り組んでいくことが大切。
女性のための水泳大会には、長い間胸に刻まれていた想いがありました。これといったアイディアも無い状態でしたが、大きな波が突然やって来ました。
それはイギリスのシェフィールドで行われた世界マスターズ水泳大会でした。日本で開催される大会とは違い、おしゃれで社交的、そこには大きなヒントがありました。
「私がやるなら、女性に優しく、笑顔いっぱいで楽しく参加できる大会にしたい!!」その想いが4年後に実現し、ウーマンズ・スイム・フェスティバルが誕生しました。
毎日、毎日参加者の人数を気にして、開催に向けて多方面への協力をお願いして、24時間ウーマンズのことだけを考えていました。
ですから、1997年第一回大会のとき、ミミ先生が流した涙は未だに忘れることは出来ません。
「50m泳げる方ならだれでも参加できる」を合い言葉に、全国の女性スイマーたちの夢の大会に大きく成長してきました。
「ゆっくり、優雅に泳いで下さい」とミミ先生は言ってましたが、自分のレースが近づいてくると、大きく鼻から息をして、眉間にしわを寄せて本気モードでした。
今年は第15回のメモリアル大会です。笑いあり、感動ありの2日間になることでしょう。スタンドでの応援は男性もOKです。是非、元気いっぱいの大会にお越し下さい。
そして、今日も楽しく、さあ泳ぎましょう!!
2011年08月01日
夏真っ盛り!! まだまだ暑さが続きます。7月のスポーツ界も熱かった!!ですね。
女子サッカーワールドカップでは、強豪アメリカ相手に先制されて、追いつき、また勝ち越され、また追いつきのハラハラドキドキな試合を制し、初優勝した「なでしこジャパン」は、世界に「青い軌跡」旋風を巻き起こしました。キャプテンを務めた澤選手は15才から日本代表に選ばれ、アメリカリーグに所属したり、常に日本女子サッカーを牽引してきました。澤選手の「あきらめない心」が18年目に大きな結果を残しました。
ミミ先生の「あきらめない心」は暑い夏の出来事でした。
毎年夏になると父の一実さんとタローの蚤取りに、岡山の西川まで行きました。ある夏の日のこと、父と一生懸命蚤取りをしていたら、急にタローが泳ぎだしたのです。普段のタローは寝ているか、食べているかで少々機敏さに欠けている犬でしたが、気持ちよさそうに川で泳いでいるタローを見て、ミミ先生は衝撃を受けました。その日からタローの真似して犬かき泳ぎをしたのが、水泳との出会いでした。
何事にも熱中しやすいB型の血液型のせいで、「タローよりも、友達よりも先に反対岸まで泳ぎたい・・・」毎日毎日泳ぎました。そのうち浮いた、泳げた、飛び込めたと、自分に出来なかったことが出来るようになる喜びがあり、ますます水のとりこになりました。
しかし、泳ぎは遊びでしかなかったにもかかわらず、小学校の卒業文集で夢の欄になぜか、「将来、水泳選手としてオリンピックに出て良い成績を残したい」と大それたことを書いてしまいました。それが4年後に実現してしまい、「私って天才少女!!」って思いました。
常にチャレンジ精神が出て、一生懸命頑張れば、今日出来なかったことでも、次の日にできることがあります。何事も続けていけば進歩することを教えてくれました。
ミミスイミングクラブは夏休み短期教室で大賑わいです。この夏の頑張りが大きな1歩になります。
水に心と身体を癒され、今日も元気にさぁ泳ぎましょう!!
2011年07月01日
7月になりました。一気に真夏モードに突入です。
海や山・・・アウトドアスポーツの季節です。
水泳は1年中出来るスポーツになりましたが、ミミ先生が現役のころは、室内プールは殆どありませんでした。冬は温泉地にある温泉プールで泳ぎ、春には屋外プールの冷たい水の中で必死に泳いでいました。
水泳人生のスタートは、14歳の時、特別枠で参加した岡山国体でした。成人の部に出場し、日本の3位になりました。水泳を本格的に始めて、僅か1年ちょっとである。地元岡山の山陽新聞に「木原美知子!!天才少女現れる!!」と大きく載り、知らない人から声を掛けられるようになりました。そして2年後に開催される東京オリンピックの候補選手となり、ミミ先生の生活がガラッと変わりました。
中学生のミミ先生は無我夢中でした。親元を離れた合宿生活が始まり、案の定ホームシックになり、泣きながら岡山のお母さんに電話しました。お母さんは「みっちゃんなら出来るよ。みっちゃんを信じているよ」と大きな愛で励ましてくれました。
「辛かったら、帰って来なさい」は一切ありませんでした。母も母で同じように戦ってくれていたのです。
きついのは練習だけではありません。中学3年の時、オーストラリア遠征に参加しました。初めての海外旅行で気分はウキウキでした。しかしそのとき、何と脚気になってしまったのです。食事と練習量のバランスが崩れ、栄養失調状態。いつもめまいがして、眠くて疲労が消えないような身体でした。原因は明らかでした。
当時、ミミ先生はお肉が嫌い、牛乳、チーズが食べられないという、オリンピック選手としては最悪なタイプだったのです。
監督やコーチから言われたことが、大人になっても胸の奧に響いていたそうです。
「食べることが一流でなければ一流の選手にはなれない」つまりその状態では、オリンピックは目指せないということです。
確かにそうだと感じたのは、その日の夕食時。ローマオリンピックのメダリストで、ミミ先生の憧れ田中聰子さんの食事の仕方を見ていたら、それはそれは見事でした。先ずはみんなでいただく大皿から素早くいただき、自分専用の小皿はゆっくり食べる。好き嫌いが全くない。ミミ先生が大皿に手を伸ばしたときには何も残っていない。頭で食べなければと思っても何も残っていない。それでは戦える体力なんて程遠かった。
岡山に戻ったとき、お母さんは栄養士に徹してくれました。どうにか食べられる鶏肉が週3回出て、野菜中心でしたが、植物性タンパク質を多く摂ることを心がけてくれたのです。
自分自身の努力もありましたが、周りの大人にも恵まれて、勝ち抜く力や、戦える精神力を自然と身につけられる術を中学時代に養ったのです。
7月24日からは、中国の上海で世界水泳が開催されます。北島選手、入江選手、古賀選手などメダルの楽しみなレースもあります。一流選手として、勝ち抜いてきた日本代表の熱い戦いをみんなで応援しましょう。
暑い夏!!節電の夏!!
水分をしっかり摂って、太陽に負けないくらい元気に、さぁ泳ぎましょう!!
2011年06月01日
ピチピチ チャプチャプ ランランラン♪
梅雨入りしました。傘が手放せない毎日ですね。
正直ミミ先生は雨が苦手でした。大好きなゴルフも出来なくなるし、ズボンの裾はびちょびちょに濡れちゃうし・・・ちょっとだけ苦手でした。
でも雨上がりの美しい光景には、いつも感動していました。
ハワイ島で見たダブルの虹や、北海道で感じた木々の匂いに・・・
元オリンピックスイマー、日本水泳連盟特命担当理事、日本マスターズ水泳協会理事、スイミングアドバイザー、女優、代表取締役社長、そしてミミスイミングクラブ校長・・・ミミ先生にはいろいろな顔(仕事や肩書き)があって、一日24時間をフル回転して、仕事をこなしてきました。
講演活動では全国を飛び回っていました。講演の演題はいくつかあり、「がんばりとおす心」を一番大切にしてきました。
ミミ先生が中学生だった時、ちょっと苦手な雨の日でも頑張って学校に通っていました。近所に身体の不自由な同級生がいて、ミミ先生がその同級生を背負って学校に通っていたからです。雨の日も風の日も、暑い夏の日も寒い冬の日も、毎日毎日同級生と一緒におしゃべりしながら、歩いて20分の道のりを通いました。
雨上がりの帰宅途中で、かたつむりを見つけたり、わざと水たまりに入ってふざけてみたりと、楽しみながら通いました。
遠足もミミ先生が二人分のリュックを持ち、雨が降って遠足が中止にならないように、前日の夜には「テルテル坊主」も沢山作りました。
ミミ先生と同級生は元気に、楽しく過ごし、校長先生をはじめ諸先生方は頑張っている二人を応援していました。
何事にも手を抜かず、最後までしっかりやるミミ先生の「がんばりとおす心」は中学時代に培われたのです。
雨はちょっと苦手だな~学校休みたいな~水泳サボっちゃおかな~って思わないで、お友達との楽しい時間が必ず待っています。
ピチピチ チャプチャプ ランランラン♪で、今日も元気に、さぁ泳ぎましょう!!
2011年05月01日
新緑の美しい5月になりました。
5月は「こどもの日」や「母の日」と家族でのイベントが目白押しです。
「こどもの日」の由来はご存知ですか?
元々は紀元前3世紀の中国、楚で始まったと言われ、五節句の一つで“端午の節句”と呼ばれます。日本では端午の節句に男の子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、国民の祝日「こどもの日」となりました。
ちまきや柏餅を食べたり、菖蒲湯に入ったり、鯉のぼりを掲揚したりと各地でいろいろな過ごし方があります。
ミミ先生も必ず菖蒲湯にゆっくりと浸かり、癒される時間を大切にしていました。
都心ではあまり見かけなくなりましたが、晴天の日の青空にたなびく“鯉のぼり”は、立派に育ってほしいと想う親の気持ちがあります。
群馬県館林市では「世界一こいのぼりの里まつり」が毎年開催されていて、鶴生田川(つるうだがわ)では、4,000匹以上のこいのぼりを掲揚しています。色とりどりのこいのぼりは圧巻で、掲揚数ではギネス世界記録に認定されています。
「母の日」は、日頃のお母さんの苦労を労い、お母さんへの感謝を表す日です。
ミミ先生の実家は、お父さんが製材所、お母さんが食堂を営んでいて、両親揃って毎日忙しく、家族が一緒に過ごす時間が余りありませんでした。そんな母娘関係でしたが、一日一回はミミ先生のことをお母さんが「ミミさんはいい子、ミミさんは私の大切な子」とギュッと抱きしめてくれていました。だからミミ先生はお母さんのことが世界中で一番大好きです。
ミミ先生が大人になってからは、岡山に住んでいるお母さんにに、日に3回は電話をしていました。だからミミ先生にしてみたら毎日が「母の日」でした。
母・綾子さんは今年の3月で92歳になり、岡山で元気に過ごしています。
5月22日、日曜日は延期しました「ミミファミリーフェスティバル」が開催されます。ご家族で楽しいひとときをお過ごしください。
今日も元気に、さあ泳ぎましょう。
2011年04月05日
桜満開の4月・・・新学期、新年度のスタートです。
新一年生はワクワク!!ルンルン♪♪
保護者の皆様はハラハラ!!ドキドキ!!の毎日をお過ごしかと思います。
ミミスイミングクラグも新しい仲間が増えました。
これからのミミスイミングクラブを背負ってくれる、頼もしい新人たちです。
ミミ先生の教えをいただいた諸先輩コーチから、沢山のミミイズムを学び、会員様から愛され、信頼されるコーチに一日も早くなってほしいです。
誰にでも最初の一歩はあります。
「ミミさんに水泳を教えてもらうと、初心者もまるで魔法にかかったように泳げるようになる」・・・と言われ、感謝されていたミミ先生にも最初の一歩がありました。
選手生活を終えた19歳の時。小学2年と5年の兄弟を教えました。いきなり深いプールに飛び込ませ「ハイ、泳ぎなさい」・・・泳ぎがまったく出来ない兄弟は足のつかない状態にパニック!!水をいっぱい飲んでしまい、未だにその兄弟は水泳恐怖症になっています。
0.1秒のタイムを競っていたミミ先生には「泳げないということが理解出来ず、25歳ごろまでは荒ワザ指導を続け、泳げないまま終わってしまった“犠牲者”は数多い・・・そんな失敗を繰り返しながら、「ミミマジック」と言われる、楽で、優雅で、美しいフォームで泳げる指導が出来てきたのです。そして、永く、楽しく水泳を続けてくれることが指導者としての願いです。
新しいこと、苦手なことを始めるのは、かなり勇気が必要です。
ミミ先生も40歳を過ぎてからシャンソンを習い、ステージで歌いました。レッスンを受けるようになってから、水泳初心者の気持ちが分かるようになりました。
先生が手本を見せて、聞かせていただいてやっと理解が出来る。理解してもまたその先の壁にぶつかる。しかし先生は根気よく「ハイ、力を抜いて。肩に力を入れないで、息を吸って、吐いて・・・」まるで水泳を教える要領と一緒と思いながらヒヤ汗を流し、声を出す。
ミミ先生は水泳では先生ですが、シャンソンでは生徒です。教える立場と、教わる立場の両方の気持ちがよく分かり、またひとつ「ミミマジック」が増えていきました。
我々ミミスイミンククラブのスタッフは、ミミ先生が長年培った指導をこれからも会員の皆様にお届けしたいと思っております。
肩の力を抜いて、大きく息を吸って、吐いて・・・そして
今日も元気に、さぁ 泳ぎましょう!!
4月5日、ミミ先生のお誕生日に寄せて。
2011年03月03日
春よ来い!! 早く来い!!
桜の美しい季節がやって来ます。
今年のミミスイミングクラブの3月は、「ミミさん月間」になります。
「ミミ」にちなんで、3月3日からミミ先生のお誕生日の4月5日まで、いつもと違うミミになります。
ミミスイミングクラブの創立者・木原光知子は、1997年に女性の為にと「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を立ち上げた後、次は子供たちの夢と希望を応援するイベントを・・・と考えていました。残念ながらその志は叶うことなくミミ先生は、旅立ってしまいましたが、私たちスタッフ一同が熱い想いを受け継ぎ、「ミミさん月間」と名付け、実現に向けて今日の日を迎えました。
まずはスタッフのユニフォームが変わります。
10代から60代のオールスタッフ(コーチもフロントも事務方も)全員で鮮やかなホットピンクのTシャツを着用します。
館内には「夢のなる木」が咲きます。
ミミ先生が常に伝えてきた「夢を持ち続けること」を皆様と感じたい。どのように表現したらいいか考えました。
ミミ先生が大好きだった“桜の木”をモチーフにし、桜の花びらカードに会員の皆様の“夢”を書き込んでいただいて、桜の木を満開に咲かせましょう!!
ミミ先生が子供の時に抱いていた夢は「水泳でオリンピックに出て、よい成績を残したい」でした。
見事叶うことが出来たミミ先生は、人一倍夢を大切に想っていました。
3月13日の日曜日は、“ミミファミリーフェスティバル”があります。
0歳児から未就学児を対象としたプールやスタジオでの親子で楽しめるイベントです。
泳いだり、踊ったり、作ったりとご家族で楽しい一日をお過しください。
雛祭りに卒園式に春分の日など、行事の多い3月。
今年から「ミミさん月間」も仲間入りさせてください。
ミミ先生の笑顔でいっぱいのミミスイミングクラブで今日も元気に、さあ泳ぎましょう!!
2011年02月03日
鬼は外~ 福は内~
近所から大きな声が聞こえた節分。みなさんも歳の数だけ豆を食べましたか?
関西の風習“恵方巻き”も南南東を向いて食べましたか?
「この1年家族が元気で過ごせますように・・・」とか
「子供が希望の学校に受かりますように・・・」とか
みなさんそれぞれの想いや願いを込めて節分を過ごされたことと思います。
その多くの夢や希望に向かって、いろいろな場面で私たちを楽しませてくれているのが、熱い感動を与えてくれるスポーツではないでしょうか?
サッカーのアジアカップも深夜にも関わらず多くの方がテレビで観戦し、優勝の瞬間は開催国カタールよりも、暑い、熱い夜になりました。
素晴らしいプレーを魅せてくれたサッカー選手たちも、最初はみなさんと同じで“上手くなりたい”“いつかワールドカップに出場したい”と夢を描きながら毎日努力してきたのだと思います。
ミミスイミングクラブのスーパーアドバイザー藤本隆宏の言葉に「努力は人を裏切らない。最初から速かったわけではない。努力すれば日本一になれるということを、水泳が教えてくれた」と・・・今も変わらず藤本隆宏は努力の人である。
そんな藤本隆宏の性格をいち早く見抜き大きく花を咲かせたのは、木原光知子の存在でした。
木原光知子は常に「自信を持ちなさい」「感謝の心を忘れてはいけない」と叱咤激励をしてきました。人一倍頑張っている藤本隆宏の姿を見て、その努力が報われるときが必ず来ることを信じていたと思います。
まだまだ寒い日が続きますが、水の中で大きく体を伸ばして、元気に楽しく、さぁ泳ぎましょう。
2011年01月01日
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
昨年暮れ、2010年を表す一文字は「暑」に決まったと報道されました。確かに、昨年の夏は本当に厳しいまでの暑さが日本列島を覆いました。その影響なのでしょうか。今度は厳しい寒波がやってきています。雪で田舎に帰れなかった、そんな方もいらっしゃるかもしれませんね。
新しい1年の始まりです!2011年の干支は「卯」。
耳をぴんと伸ばし、あらゆるところに情報を張って、フットワーク軽く、ぴょんぴょんと、どんな難関も乗り切っていきましょう。
1年の始まりの1月は目標をたてるとき。木原光知子は目標設定を大切にしてきたことは常々みなさんにお話してきましたが、その目標の一つに『愛情を注ぐ』ことという項目がありました。ある年の1月のミミメッセージで木原は次のように語っています。
「これまでも愛情を注いでやってきたミミスイミングクラブですが、さらにパワーアップ。みなさんとともに愛のあふれるプールに育てていきたい」
この気持ちはいまもしっかりスタッフに受け継がれています。
今年も一緒に楽しく、そして元気に、さぁ泳ぎましょう!